「あとは皆さんで考えて勝手にやってみたらいかがですか?」
――このセリフ、部下に言ったんじゃないです。地元住民に向けて、鉄道会社の社長が公式ブログに書いた言葉です。
2026年春、大井川鉄道・井川線の運賃が1,340円から3,500円へ、約2.6倍に値上げされるという計画が明らかになりました。突然の発表に沿線住民は猛反発。さらに社長のブログ投稿が火に油を注ぎ、町議会から抗議書が提出される事態に。
結末は――値上げ見送り。社長の口から飛び出した謝罪の決め手は「家内にも怒られた」。
正論と暴言が入り混じる、なんともドラマチックな一連の騒動を振り返ります。
そもそも「井川線」ってどんな路線?

大井川鉄道・井川線は、千頭駅から井川駅までの全長25.5kmを走るローカル路線です。赤いトロッコ列車が南アルプスの山間を縫うように走る、知る人ぞ知る秘境路線。
ただ「知る人ぞ知る」で片づけるには、この路線はスペックが異常です。
- 日本唯一のアプト式鉄道:線路の真ん中に歯車レールを敷いて急勾配を登る、日本でここだけの仕組み
- 奥大井湖上駅:湖の上に浮かぶように佇む駅。クールジャパンアワード2019を受賞した、SNS映えの聖地
- 関の沢橋梁:川面からの高さが日本一の鉄道橋。高所恐怖症の人は窓の外を見ちゃダメなやつ
南アルプスユネスコエコパークの中を走り抜けるこの路線、観光資源としてのポテンシャルは折り紙付きです。
ただし、ひとつ決定的な事実があります。
過去15年間、定期券の発行はゼロ。つまり通勤・通学で使っている人は、15年間ひとりもいないということです。乗っているのは観光客だけ。この事実が、後の騒動で重要な意味を持ってきます。
運賃2.6倍――値上げ計画の中身
2026年4月中旬、大井川鉄道は沿線自治体の川根本町に対し、6月1日からの運賃改定を通知しました。
その内容がこちら。
- 千頭〜井川間の運賃:現行1,340円 → 3,500円(約2.6倍)
- 井川線の乗車を「旅行商品」として事前予約制に変更
- 沿線の温泉宿泊客向けには、通常運賃で乗れる列車を1日1往復確保
- 地元住民向けには、手数料1,000円で2年間有効のフリーパスを発行
単なる値上げではなく、井川線を「生活路線」から「観光列車」へ完全に切り替えるという大胆な構造改革です。
住民向けのフリーパスや宿泊客向けの配慮もセットになってはいました。が、問題はその伝え方でした。
「ローカル鉄道の再生請負人」鳥塚亮社長とは
この値上げ計画を打ち出したのが、2024年6月に大井川鉄道の社長に就任した鳥塚亮氏です。
鳥塚氏は鉄道業界では有名人。「ローカル鉄道の再生請負人」の異名を持ちます。
- 千葉県のいすみ鉄道では、廃線寸前だった路線を観光列車やイベントで再生。全国区の知名度に押し上げた
- 新潟県のえちごトキめき鉄道でも、斬新なイベント企画で話題を呼んだ
実績は申し分ない。経営の手腕も確か。だからこそ大井川鉄道に招かれたわけです。
そして「15年間定期利用ゼロ」の井川線を観光特化にするという判断自体は、経営者として極めて合理的と言えます。誰も生活路線として使っていないなら、観光列車として価値を高めて収益化する――理屈としては正しい。
問題は、その「正しさ」の伝え方でした。
社長ブログ炎上――「勝手にやってみたら?」
4月28日、鳥塚社長は自身のブログに投稿を行いました。値上げへの反対意見に対する反論だったのですが、その文面が一線を越えていました。
「そんなに反対されるなら、あとは皆さんで考えて勝手にやってみたらいかがですか?」
「井川線が廃止になっても世の中大勢に影響はない」
……いや、言ってることは事実かもしれない。でもそれ、社長が公式に書くセリフじゃないでしょう。
これがSNSで一気に拡散。「地元を見下している」「上から目線にもほどがある」と批判が殺到しました。該当の投稿は後に削除されましたが、すでに手遅れ。炎上の火は燃え広がっていました。
町議7名が抗議書を提出「町民への侮辱だ」
5月上旬、川根本町の町議7名が連名で抗議書を提出。その中では社長のブログについて厳しい言葉が並びました。
- 「社長のブログは町民への侮辱」
- 「差別的表現に該当する」
議会が動くレベルの炎上です。ブログひとつでここまでの事態になるのは、裏を返せば井川線が地元にとってそれだけ大切な存在だということでもあります。
15年間誰も定期券を買っていなくても、「うちの町にはあの鉄道がある」という誇りは別の話なんですね。
一方で、冷静な声もあった
全員が社長叩きに回ったわけではありません。
静岡県の鈴木知事は、こうコメントしています。
「経営を考えたら社長の判断にも一定の理解を示す」
「ただし唐突な発表が問題」
沿線の旅館経営者からも、意外と冷静な声が聞こえてきました。
「値上げ自体には反対ではないが、地元との向き合い方を考えてほしい」
つまり、「やろうとしていること」より「やり方」が問題だったということ。値上げの必要性は多くの関係者が理解していたんです。社長の経営判断そのものは、決して的外れではなかった。
ただ、地元との対話をすっ飛ばして突然通知し、反発されたら「勝手にやれば?」とブログに書いてしまった。コミュニケーションの失敗が、この騒動の本質です。
住民説明会で陳謝「家内にも怒られた」

5月8日、住民説明会が開催されました。壇上に立った鳥塚社長は、一転して頭を下げます。
「言葉の間違った使い方でご迷惑をおかけした」
「井川線は宝物なんです」
そしてこの一言。
「家内にも怒られた。あんなこと書くんじゃないと」
……奥さん、ナイス。たぶん静岡県で一番正しいことを言った人です。
同日、6月1日の値上げ見送りが正式に発表されました。新たなスケジュールは未定とのことです。
騒動の時系列まとめ
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 2024年6月 | 鳥塚亮氏が大井川鉄道の社長に就任 |
| 2026年4月中旬 | 川根本町に「6/1から値上げ」を通知。1,340円→3,500円(2.6倍) |
| 4月28日 | 社長ブログが炎上。「勝手にやってみたら?」「廃止になっても影響ない」 |
| 5月上旬 | 町議7名が抗議書を提出。「町民への侮辱」「差別的表現」 |
| 5月8日 | 住民説明会で社長が陳謝。「家内にも怒られた」 |
| 5月8日 | 6月1日の値上げ見送りを正式発表。新スケジュールは未定 |
今後どうなる?井川線の行方
値上げは「見送り」であって「撤回」ではありません。経営的に井川線が厳しい状況にあることは変わらないし、観光特化の方向性自体は理にかなっています。
今回の騒動で明らかになったのは、正論だけでは人は動かないということ。
鳥塚社長の経営手腕はいすみ鉄道で証明済みです。井川線のポテンシャルも、奥大井湖上駅や日本唯一のアプト式という武器を見れば明らか。あとは「地元と一緒にやる」というプロセスさえ踏めれば、井川線は化ける可能性を十分に持っています。
次の値上げ発表がいつになるかはわかりません。でもそのとき、社長のブログに書かれる言葉が今回とは違うものであることを、静岡県民として期待しています。
――奥さんの監修付きで。

コメント